このような歴史を経て復元されていたんですね。
調べてみて本当によかったです。
天守は、当初は慶長9年(1604年)の大地震で大破したが、1621年(元和7年)に再建されている。ところが、嘉永7年(1854年)旧11月4日の嘉永東海地震により再度倒壊し、その後は天守の再建が行われることなく、遺構が残るのみであった。しかし、平成6年(1994年)に、市民や地元企業などから十億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守を再建し、掛川のシンボルとなっている。
この天守を再建するに際しては、同じく山内一豊が築城した高知城を参考としてそれに近い構造とし、壁は白漆喰で塗り固められている。確に現存している高知城は、江戸時代末期の再建ではあるが、一豊の創建天守に近いものであると考えられている。また、三層三階の入母屋作りである点と、二階の慶長時代の様式といわれる花頭窓なども、調査に基づいて忠実に復元したものである。
一方で、掛川城の天守が地震で倒壊する数年前の1851年(嘉永4年)に作成された、天守台周囲の崩落した石垣と芝土手の被害状況を示した絵図面が残っており、同時に天守の形も示されてるので、嘉永地震以前の天守を知る重要な手がかりとなっている(掛川城二の丸美術館蔵)。ただし、各階壁面の下部板張りになっているなど、再建された天守とはやや異なっている面もある。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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